ひとことで言うと
理化学研究所などの共同研究チームは、細胞が持つわずかな「利き手(キラリティ)」と細胞同士の相互作用により、センチメートル規模の美しいスパイラル構造が自発的に生まれる仕組みを解明しました。要素の数が次々と変化する「開放系」に着目し、生物の左右非対称性が形作られる原理に迫る成果です。
何が発表されたのか
理化学研究所生命機能科学研究センターの早川雅之研究員(研究当時、現・京都工芸繊維大学助教)、バタチャージ・ビプラブ研究員、柴田達夫チームディレクター、筑波大学生命環境系の桑山秀一教授らの共同研究チームは、2026年10月26日に、細胞集団の運動から大規模な左右非対称構造が形成されるメカニズムを発表しました。本研究成果は同日付で科学雑誌『Nature Communications』オンライン版に掲載されています。
これまでの研究では、要素数が一定に保たれる「閉鎖系」を対象としたアクティブマター(自己駆動する要素の集団)の研究が主流でした。しかし、実際の生物の発生や組織形成では細胞が増殖や移動により絶えず供給される「開放系」が一般的です。今回の研究は、その開放系においてミクロな細胞の偏りがマクロな構造へ発展するプロセスを実験と数理モデルの両面から実証したものです。
細胞性粘菌を用いた開放系モデルの構築
共同研究チームは、化学物質の影響を排除するため、走化性を示さない細胞性粘菌の変異株である「KI細胞」を使用しました。直径5センチメートルの寒天基盤の中央のくぼみに多数のKI細胞を配置し、細胞が周囲へ移動していく様子を観察しました。
実験の結果、細胞供給源の周囲に高密度の環状領域が形成された後、そこから複数の帯状構造が外側へ向かって伸びていきました。これらの帯状構造は時計回りに回転しながら放射状に広がり、複数の腕を持つセンチメートルスケールのスパイラル構造を形成しました。このスパイラルは、運動方向がそろった「回転コア」と、そこから伸びる複数の進行波によって構成されていることが明らかになりました。
細胞キラリティと配向相互作用の役割
スパイラル構造の起源を調べるため、研究チームは個々の細胞の運動を詳細に解析しました。KI細胞の運動速度は1分間に約25マイクロメートルであり、方向転換の平均値は1分間に時計回りに約2~3度という微小な偏り(細胞キラリティ)を持つことが分かりました。
また、低密度条件下での細胞同士の衝突実験から、衝突前よりも互いの運動方向がそろう「配向相互作用」が存在することが確認されました。この相互作用によって細胞のランダムな運動が抑制され、個々の細胞が持つ微弱な時計回りのキラリティが顕在化します。中心の回転コアが進行波を時計回りにガイドすることで、大規模なスパイラルパターンが生まれるという仕組みです。
シミュレーションによる検証
膨大な数の要素を扱う現象の本質を抽出するため、研究チームは「開放系キラル ヴィチェックモデル」と呼ばれるミニマルモデルを構築しました。この数理モデルを用いたシミュレーションの結果、実験と同様の回転コアと進行波から成るスパイラル構造が再現されました。
さらに、細胞キラリティの強さに応じてパターンが変化することも示されました。キラリティがない場合や極めて弱い場合は同心円状の構造になり、強すぎる場合はスポット状の構造になることから、キラリティが中程度である領域においてのみスパイラル構造が現れることが結論付けられました。この形態は数学における「円のインボリュート」に一致することも分かっています。
数字で見るポイント
| 項目 |
数値・内容 |
出典 |
| 観察されたスパイラルの規模 |
センチメートルスケール |
元記事 |
| KI細胞の運動速度 |
1分間に約25マイクロメートル(25μm) |
元記事 |
| 方向転換の平均値 |
1分間に時計回りに約2~3度 |
元記事 |
| 回転コアの秩序パラメータ |
0.94 |
元記事 |
| スパイラルの腕の秩序パラメータ |
0.88 |
元記事 |
| 総観察数(細胞の方向変化) |
29,819 |
元記事 |
まだ分かっていないこと・今後
本研究では細胞性粘菌の変異株を用いたモデル実験と数理モデルにより、開放系におけるキラリティの増幅機構が示されました。今後は、実際の生体内における発生や組織形成のプロセスへと研究を展開し、神経堤細胞などの移動を伴う生体内の開放系において、細胞レベルのわずかな左右差が個体の左右非対称性へとつながる仕組みの全容解明が期待されます。
自分に関係ある?
本研究は基礎科学分野の成果であり、直ちに一般の会社員や子育て世帯の日常の生活や業務に直接的な影響を与えるものではありません。しかし、生命科学や物理学の領域において、生物が形作られる根本的な物理法則を理解するための重要な知見となります。
見られる・参加できるか
本成果は製品やサービスとして一般に提供されるものではありません。研究の詳細や論文情報は、理化学研究所、京都工芸繊維大学、筑波大学の各広報窓口、および科学雑誌『Nature Communications』の公開情報をご確認ください。
まとめ
理化学研究所などの研究チームは、細胞のわずかなキラリティが細胞間の相互作用と開放系での細胞供給によって増幅され、大規模なスパイラル構造を作ることを解明しました。今後は生体内の発生プロセスへの応用研究が進むとみられており、引き続き各研究機関の公式発表に注目が集まります。